ロータリークラブの歴史

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ロータリーの創立とポール・ハリス

ロータリーの創立は、 1905 年 2 月 23 日であります。これは明治 38 年 に当りますので、日本では日露戦争の最中で、約半月後の 8 月 10 日は奉天会 戦の日であります。それから 3 ケ月ばかり後の 5 月 27 日には、日本海大海 戦が起っております。 R ・Tから発行された『ロータリー奉仕の 50 年』には、 この年アインシュタインが相対性原理を発表し、 1908 年にはライト兄弟がノー ス・カロライナ州キティフォークにて初飛行を試みたとあり原子力の解放によ って人類は第 3 の火を発見する端緒をつかみ、航空機発達の第一歩を踏み出す ことになったのだと記して、 20 世紀こおける世界文化史に、偉大なる足蹟を 印したロータリー創立の快挙をしのんでおります。

シカゴ市にあるユニティピルの 711 号室に、鉱山技師のガスターガス・ロー アの事務所がありました。 1905 年 2 月 23 日の午前、その軍務所で主人公の ローアと彼の友人の洋服商ハイラム・ショーレイが世間話をしていました。昼 を少し過ぎた頃弁護士のポール・ハリスが、彼の友人である石炭商のシルベス ター・シールを伴って訪ねて釆ました。この 4 人がロータリー創立の日に集ま った、有名な 4 人の人物であります。

ガスターとシルベスターは何れも独乙人の両親を持つ独乙系で、ポールは英 国から、初めにアメリカに移住した新教徒の子孫であると伝えられていますが、 ハイラムはメイン州からシカゴに移住したというだけで、その国簿は伝えられ ておりません。

集った 4 人の友人達の話題は、ポール・ハリスが以前から、シルベスターや ガスターガスに話していた社交クフブの結成についてでありました。ハイラム はガスだけの友人でポールの議を聞くのは初めてのことだったよぅですが、友 人を沢山つくってお互いに商売上の利益を得るようにしよう、というポールの 提案を一番関心をもって聞いていたと伝えられています。

この時のポールの話を要約すると、大体次のようなことであったと思われます。

  1. 社交クラブの会員は 1 職業につき 1 名に限る、同業者が 2 人以上になると競争意識が働いて仲良くなりにくい。
  2. 会員はお互いに他の会員の商売が盛んになるように助け合うことにする。
  3. 会員はお互いに兄弟親類のつき合いをするように、親睦を第 1 に考える。

つまり石炭を買うのはシルベスターの店から、洋服はハイラムに頼み、裁判 で争うようなときにはポールに、鉱山関係の商売はガスターに、しかも同業者 は他に 1 人もいない。皆兄弟のように仲良くする、とまあこんな訳であります。

4 人はいずれも田舎出の青年で、シカゴでは未だ自分の仕事を充分に確立す るまでに至っていないが、青雲の志を抱いて都会に出て釆た者ぼかりでありま すから、ポールの提案は他の 3 人の共鳴するところとなって、社交クフプの結 成はスタートを切ることになったのであります。ポールが 3 8 才他の 3 人も 大体同年輩の年頃であったと伝えられています。

第 2 回目の会合は、 2 週間後の 3 月 9 日ポールの事務所で、第 3 回目は 3 月 28 日、シルベスターの事務所で開催され、それまでに不動産業のウィリ アム・ジェンスン、印刷業のハリー・ラグラス、洗濯業のアーサー・アーウイ ン、オルガン製造業のアル・ホワイト、保険業のチャールズ・ニュートンが入 会していました。

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