ロータリークラブの歴史

目次      トップページ

ロータリーの創立とポール・ハリス  〜つづき〜

そこで第 3 回目の会合の時に、社交クラブとしての規約を作り、会長にシル ベスター、記録幹事にショーレイ、通信幹事にジェンスン、会計にラグラスが 任命されました。さて、そこでクラブの名称を付けることになりましたが、沢 山の名称が提案され、あれこれと意見がありましたが、結局ポールの提案した 『ロータリークラブ』というのが決定したということであります。

このクラブ名の決定については、他に異論もありますが、ここではポール・ ハリスの著書My  road to Rotary の記述を採用しました。

またこの会合で、現在のロータリーの徽章の原型である車輪のマークを作る ことになったと伝えられております。

ロータリー創立の日となった最初の 4 人の集まりで、最も雄弁に、最も情熱 をもってしやべったのは弁護士のポールだったということであります。

彼は幼年期から青年となるまでに経験した故郷の豊かな人情の専さについて 語り、同じように田舎出身である 3 人の友人に対して、友情こそ人生における 最も貴重なものであることを力説し、他の 3 人もまたこのことに全面的に賛成 したといわれております。1935 年即ち昭和 10 年に、第 5 回太平洋地域大会 が、フイリッピンのマニラで開催された時、ポール・ハリス夫妻は日本に立ち 寄り、日本のロータリアンと交歓いたしましたが、東京会館で催された歓迎レ セプションの時でもありましょうが、或るロータリアンがロータリー創立当初 のポールの心境について開いたところ、彼は『私達は友情に飢えていたのです」 と答えたと伝えられています。

ロータリーヘの発想は、 4 人の友人達が恋いこがれた厚い人情の絆に結ばれ ている、それぞれの故郷の交りを大都会であるシカゴに再現しょう、という心 意気が期せず共鳴するところにあった、と考えて間違いなさそうであります。

さて、それではポール・ハリスの生れ育った故郷を見ることにいたしましょう。

米国の北東部ウイシコンシン州に、レイシーンという小さな町があります。 その町で雑貨商を営んでいたジョージ・ハリスとコーネリア夫妻の次男とし生 れたのがポール・ハリスであります。父のジョージは発明と文筆に凝って、ポー ルが 3 才の時家業に失敗倒産したので、ポールはバアモンド州ウォーリングフ ォードで農業を営んでいる祖父のハワード・ハリスの家に引き取られ、そこで 大学を卒業するまで育てられております。従ってポールの脳裡にある故郷とは クオーリングフォードのことであります。

ポールは、このハワード祖父と、祖母のパメラさんの手で育てられました。 お二人とも大変信心深いクリスチャンで、特に幼いポールをなにくれとなく世 話したパメラおばあさんとの交渉は、ポールが大学を出て社会人となる時『ボー ルや、お前は今までいろいろの人の世話になったが、社会に出たら自分以外の 人にその恩返しをしなければなりませんヨ』と訓えた、という有名な話が残さ れている程であります。

ポールの著書 My road to Rotary には、ウォーリングフォードにおける家族 との情愛、近隣の人々との友情が、心温まる想い出として書きしるされているのであります。

ポール・ハリスは、ロータリーの創設者といわれています。彼はまた文章の 才がありましたので、自作の著書や記録を沢山残しています。そこで、しばら くロータリーの歴史を離れて、ポール・ハリスの生い立ちを調べてみることに いたしましょう。

ポールがウォーリングフォードの祖父の家に引き取られたのは 3 才の時のこ とであります。その後一時期父母と一緒に暮らしたこともありましたが、これ は極く僅かの間で再び父の商売は失敗するという不運に会って祖父の家に帰っ て釆ます。それからは祖父母が亡くなるまでウォーリングフォードを郷里と していた訳であります。

ポールの幼年期から少年期に亘る自叙伝によれば、彼は相当の腕白坊主であ ったようであります。最初に入学したバーモンド州ラドローのブラック・リバー ・アカデミーでは、気性が激しく教師と衝突したのが原因で退学となり、サク ストン・リバーのバーモンド・アカデミーに転校しています。そこを卒業して バーリントン市のバーモンド大字に進みますが、その学校も暴力学生という ことで退学処分となります。もっともこの時は無実の罪であったが友人を庇っ て、ポールは一言の釈明もしなかったということであります。そのことがき っかけとなってポールの腕白ぶりは止み、祖父のはからいで家庭教師につき、 やがて名門のプリンストン大学に入学できましたが、祖父の死のため中途退学 を余儀なくされ、一時期大理石会社に就職しますが、祖母のパメラさんの激励 を受けて、アイオワ州立大学に入学し、弁護士事務所で働きながら大学の法律 学科を卒業するのであります。

目次      トップページ