ロータリークラブの歴史

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ロータリーの創立とポール・ハリス  〜つづき〜

ポールは卒業と同時に弁護士試験にも合格しますが、直ちに就職することな く彼の自伝にいう Five yars of Folly (5 年間の愚行〉が始まるので す。その時には祖母のパメラさんも亡くなって〈大学在学中〉ポールは孤独に なっていたということであります。

5 年間の放浪生活は、ほとんど米国全州に及んでいます。経験した職業も新 聞記者、教師、ホテル従業員、映画俳優、農家手伝、カーボーイ、果実荷造人 夫、下級船員、大理石販売人など多種多様にわたっています。ポールはこの 5 年間に貴重な人生経験を得たし、また沢山の心の友人を得ることができました。 後年彼がロータリー運動の拡大を計画するようになった時、この 5 年間に得た ものは計り知れないはど大きなポール・ハリスの財産となっていたのであります。

ポール・ハリスの 5 年間に及ぶ職業遍歴の旅は、彼の人格形成、彼の人間性 に極めて大きな影響をもたらしていることは確実でありますが、いろいろな職 業人を友人とすることが出来たことは、ポールの人生行路に大変に役に立って いるといわねばなりますまい、沢山の友人のうち彼が特別の感慨をもって語っ ている人物に、フロリダ州ジャクソンピルに大理石業を営んでいたジョージ・ クラークがいます。クラークはポールの人物にすっかり惚れ込んで、ポール を共同経営者にしたいとの願望を持っていましたので、ポールを 1 人の営業部 員とは考えず、彼のために多くの便宜を与えています。

ポールは 5 年間の放浪生活中に、下級船員となって 2 度英国に渡って見物 しておりますが、貸物船が港に看いてから出航までの間のわずかな時間のこと で、十分の見物が出来ないままに帰途につかざるを得ません。そこでポールに 欧州見物の熱望のあることを知ったクラークは、彼を欧州における大理石業界 の視察と販路拡張の特派営業部員として派潰しています。またニューヨークを 見たいといえば、支店長を更迭してまでポールの希望をかなえてやったことも あります。両名の友情の様子はポール・ハリスの自伝に、詳しく述べられて いるところであります。

後にポールがロータリー・クラブを全米各地に拡大する計画をたてた時、 その要請に応えてジャクソンビル R ・ C を創設し、その初代会長に就任した のが、このジョージ・クラークであります。 1896 年に至って、ポール・ハリ スはクラークの会社を辞して、シカゴで弁護士を開業します。ポールが去るに 当ってクラークは『一緒に仕事をしょう、十分に金を儲けることができる』と いって引き留めにかかりますが、ポールは『君の厚意は有難いが私はシカゴに 金儲けに行くのではありません、人生を生きるために行くのです』と答えてい ます。

クラークはポールの気性をよく知っているので、それ以上引き留めることを やめ、心よくポールをシカゴに送り出したということであります。1896 年か ら始った大都会シカゴでのポール・ハリスの日常生活は、大変味気ないもので あったようであります。彼の年令は既に 29 才、数々の職業遍歴と人生経験に よって、ポールは常識豊かになり弁護士として世間を見る目も鋭くなっていま した。

1896 年から 1905 年までの約10年間をロータリーの神代の時代と考えて みるのも面白いことではないかと思います。この年月は弁護士ポール・ハリス が、職業を通じて或いは 1 人の市民として、大都会シカゴの表裏にうごめく悪 徳非行を見聞し、その汚濁の世界と、少年時代を過したウォーリングフォード の清純な田舎生活を比較し、深刻な感慨を胸に抱き人間疎外感や孤独感を味わ って、毎日毎日の生活にやるせない思いをかこつ時代ということが出来るよう であります。

This Rotarian age の一章を抜き書きしますと、
『サルーンは貧しい人間の集合場所であったが、アルコールの昂奮は人と人と の障壁を美事に打ち破るばかりでなく、各人の自専心をも撲滅した・・・・・・』
『所有するものは失なわぎらんとして戦い失なえる者は糧を得んとして争った・・・・・・』
『借家人は家賃を怠り、借金者は利子を怠り、小売商人は卸し先への、卸売商 人は製造元への支払いを怠ったので、裁判所は不法侵入、監禁願、貧困保護、 抵当処分、失権回復、差押えなど、ありとあらゆる事件が充満した』
『僧悪、暴力、詐欺、ぺてん等すべて非人間的行為が、金儲けと食べるために横行した』

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