ロータリークラブの歴史

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ロータリーのルネッサンス始まる 〜つづき〜

ポール・ハリスのいうロータリーのルネッサンスが漸やく終末に近づいた 1918 年のニューヨーク州バッファロー大会は、その名称『国際ロータリー連合 会』と称して開催されています。この名称変更は前年のミネソタ州ドウールス 大会の時からでありますが、改名の理由は、 1908 年にカナダのウイニベック R ・ C が設立され、 1911 年には英国ロンドン R ・ C が誕生、アイルランド にもダプリン R ・ C が設立されていたということから『全米』が『国際』と 変ったのであります。なお、ポール・ハリスは第 1 回シカゴ大会において『全 米口一夕リークラブ連合会』の会長に選出され、ボートランド大会までそのま ま会長職を続けましたが、『国際ロ一夕リークラブ連合会』となったのを機会 に、会長をグレン・ミードに譲り、自らは『名誉会長』に選ばれております。

バッファロー大会は、職業による会員の奉仕の在り方について、活発な議論 が展開されました。その結果、職業理念についてロータリアンの信条とすべき 文章を纏める必要があるとの提案が決議されて、その考案作業がアイオワ州の シウー・シティ R ・ C のロバート・ハントに命ぜられました・彼は全世界の ロータリアン達からアンケートをとり、これを起草委員に諮って分頬整理し、 簡素な表現とする作業にとりかかることになります。これが後に 11 ケ条の 職業倫理訓になる訳であります。

世界中のロータリアンから、職業倫理に関するアンケートを集めたシウー・ シティ R ・ C のロバート・ハントは、業半ばにして転任のためロータリーを 退会せざるを得なくなり、後事を友人の牧師でシウー・シティ R ・ C の会員 である J ・ R ・バーキンスに託しました。

パーキンスは他の委員と共にアンケートの整理分類を終り、 1914 年のヒュー ストン大会に堤出すべく出発しますが、汽車の中で旧知のシカゴ R ・ C 会長 ハーバート・アングスターに会い、彼からも助言を受けて 5000 字にのぼ る原案を 500 字に縮めることに成功します。これを大会に提出しましたが、大 会はこれを更に推敲すべしと決議しましたので、一年後の 1915 年サンフラン シスコ大会に再堤出し、ここで『職業人を対象とする倫理訓』 11ヶ条が採択 されるのであります。

倫理訓 11ヶ条は、本クラブ発行の『ロータリー入門』に全文掲載されてい ますので省略しますが、この 11ヶ条の真髄を 5ヶ条に縮めて日本文とした大 連 R ・ C の古沢文作〈後に東京 R ・ C 会長となる)の労作を紹介すること にいたします。

  1. 須らく事業の人たるに先立ちて道義の人たるべし、けだし事業の経営に 全力を傾倒するは因って世を益せんが為なり、ゆえに吾人は道義を無視してい わゆる事業の成功を獲んとする者に与せず。
  2. 成否をいうに先立ち退いて義務を尽くさんこと思い進んで奉仕を完うせ んことを念う、自らを利するに先立ち他を益せんことを願う、最も能く奉仕す る者、最も多く満さるべきことを吾人は疑わず。
  3. あるいは特殊の閑係をもって機会を堕断しあるいは世人の潔しとせぎる に乗じて巨利を博す、これ吾人の最も忌むところなり、吾人の精神に反してそ の信条を薫るは利のため義を失うよりはなはだしきはなし。
  4. 義をもって集まり、信をもって結び、切瑳し琢磨し柏扶け相益す、これ 吾人団結の本旨なり、しかれども党をもって厚くすることなく他をもって拒む ことなく私をもって党する者にあらぎるなり。
  5. 徒爾なる角逐と斗争とは世に行なわれるべからす、協力もって博愛平等 の理想を実現せざるべからず、しかり吾が同志はこの大義を世界に敷かむがた めに活躍す、吾がロータリーの崇高なる使命ここに在り、その存在の意義また ここに存す。

---第2章終わり---

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