ロータリークラブの歴史

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ロータリー思想の基本確立さる

1914 年は、サラエボにおいてオーストリアの皇太子夫妻が暗殺されたのが 原因となって、第一次世界大戦が勃発した年であります。ロータリーの世界で はその奉仕の理論をもってロータリーの基礎を築いた貢献者の 1 人といわれる、 トレド R ・ C 会員のフランク・ L ・マルホランドが、国際ロータリークラブ 連合会の会長となって、大会はテキサス州のヒューストンで開催されています。

この大会でアデイショナル・クラブの規定が出来ました。それまでは一都 市に一つのロータリー・クラブが認められるのが原則でしたが、ニューヨーク 市の 5 つの区の一つであるブロンクスに、新しいクラブを設立する希望があり ましたので、これを許可する為に一都市に複数のクラブを作ってもよいことに 規定を改めた訳であります。

マルホランドは後に(1930 年) R ・T会長代理として来日し、当時 70 地 区となっていた日本の年次大会に出席して雄弁を振るった記録が残っています。 彼は現在のロータリー綱領の 4 番目に掲げてある『ロータリーの奉仕の理想に 結ばれた実業人専門職業人の世界的な友情をもって国際間の理解と善意と平和 とを推進しょう』との趣旨を強調して、年次大会に参加した日本のロータリア ン達を魅了したといわれています。

1930 年は昭和 5 年に当りますので、満州事変、支那事変など日本は激動期 に突入しつつあったのであります。マルホランドは大会に出席した後も、引さ 続き日本に滞在して、各クラブを歴訪し、京城から奉天にまで足をのぼして、 ロータリーの理念を熱心に説いてまわりましたので、当時の日本のロータリア ンは彼によって大いに啓発され、学ぶところがあったといわれています。

1915 年の大会がサンフランシスコで開催されたことは前に述べました。こ の時の国際ロータリークラブ連合会の会長アレン・ D ・アルパートもまた有名 な会長であります。この大会で『職業倫理訓 11ヶ条』が採択された経緯も前 に述べましたが、そのほかに各クラブ共通の定款、細別が出来上っています。 それまで各クラブは、シカゴ R ・ C の規約を手本にして、それぞれ地域性を 加味した規約を作っていましたが、サンフランシスコ大会でこれを統一するこ とになった訳であります。もっともこの定款、細別は強制的なものではなくて、 採用するように奨励することになっていました。 1915 年のサンフランシスコ 大会は、ロータリー大会史上画期的な大会の一つであるといわれていますが、 この大会では前述の『倫理訓』と『定款細則』の採択のほかに、現在のロータ リー綱領 4 項目の原型ともいうべき、 6 項目の綱領も採択されました。

  1. すべての合法的職業の価価に対する認識を深め、社会に対する奉仕の 横会を与えるものとして会員の職業を神聖化すること。
  2. 職業上の高き道徳的規準を奨励すること。
  3. 意見や商取引上の方法を互いに話し合い、各会員の能率を増進すること。
  4. 奉仕の機会および成功への道として知り合いを広めるための知識を普 及すること。
  5. 社会福祉の問題に各会員の関心を促がし、かつ市、社会、商業および 産業の発展のため他の人々に協力すること。
  6. その同輩および社会一般に奉仕する各会員の意欲を刺激すること。

以上でありますが、ロータリー博士として有名な宮脇冨民の『ロータリー綱 領の変遷』によると、 1910 年第 1 回『全米ロータリークラブ連合会』の際に 5 項目の綱領が採択され、次いで 1912 年に『国際ロータリークラブ連合会』 の改称時に、 4 項目の綱領に改訂されたものが、 1915 年に前記項目に改め られたということであります。

現在の 4 項目の綱領となるまでには、 1913 年カンサスシティ大会、 1922 年ロスアンゼルス大会において改訂があり、 1935 年のメキシコ・シティ大会 で 4 項目にまとめられ、現在のものが出来上ったということであります。

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