ロータリークラブの歴史

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ロータリー思想の基本確立さる 〜つづき〜

サンフランシスコ大会では更らに、ロータリアンの教育に関する『教育委員 会』が発足して、その委員長にフィラデルフィア R ・ C のガイ・カンディカー が選ばれました。

ガイは後に R ・ C 会長にも選ばれた人物ですが、閑東大震災に際して 8 万 9 千ドルの義援金がロータリーから送られた時の会長であります。

教育委員会はその成果として、ガイ・ガンデイカーの執筆による『ロータリー 通解』 "A Talking Knowledge of Rotary" を出版しましたが、これはロータリー の解説と、ロータリアンの心得を平易に解説したロータリー文献として最初の まとまった本で、今日もなおロータリアン必読の書として、世界中で高く評価 されているものであります。

ロータリーは創立のはじめ、会員の友情を厚くし、会員の企業繁栄のために 相互に協力する、という点に強い関心を示しました。次いで、公共に尽くし地 域社会の向上発展に貢献せんとする意欲を強く奨励するようになり、更に、会 員の企業運営について高い道徳的水準を求める点を強調する、職業倫理に関心 を払うようになりましたが、第 1 次世界大戦を契機として、国際的問題に対し ても強い関心を向けるようになるのであります。

1914 年第 1 次世界大戦の幕が切って落されると、独乙皇帝カイゼルの軍隊 は、中立国ベルギーに怒涛の如き勢いをもって侵入しましたので、イギリスや アイルランドのロータリークラブは、ベルギーの避難民を収容して人道的立場 から救済に活躍した記録が残されています。

アメリカが参戦したのは 1917 年になってからのことですが、何時の場合に もあるように、アメリカに移住している独乙系住民は、敵性国人として種々の 圧迫を受けたということで、各地のロータリークラブでは、独乙系住民に対し て人道的立場から、彼等を圧迫から救済する為に活躍したということでありま す。

ロータリー創立の、最初の会合に集まった人の内、シルベスター・シールと ガスターガス・ローアは、何れも独乙人の両親を持った人物であります。彼等 が圧迫を受けたという記録は見当りませんが、おそらく彼等以外にも独乙系の アメリカ人で、ロータリアンであった人達は多数いたのではないかと想像され ます。

ポール・ハリスの著書を見ますと、戦争に反対する彼の思想がうかがわれます。

『一般社会における殺人は、社会を毒する凶悪犯として刑を受け、自らの命を もってその罰を償う、しかるに戦争における殺人者は、国家によって表彰され 勲功をも授けられる、世人も殺人者に対して賞賛を与える、これ文明の一大恥 辱というべきであろう』

文言はこの通りではありませんが、以上がポールの戦争観の基本であります。

彼はまた、戦争は勝敗いづれの場合も相償わぬものである、人間の感情を抑 制せざる結果が戦争につながるとも主張し、『戦争挑発の罪は、破壊手段を発 明する科学者、軍備を供給する金融財政家、理性を放棄せしめ感情の激成を誘 う新聞雑誌製作者』であると説いたイギリスのノーベル貨受賞作家、ジョン・ ゴールズワージ Jonen golsworthy に賛成の意見を述べているのであります。

国際理酵を増進して世界を平和に、という国際奉仕の基本的姿勢というべきでしょう。

大量殺人を伴う凄惨な近代戦が、欧州大陸において行なわれている 1917 年、 遂にアメリカもこの戦争に加わることになって、若いアメリカの将兵は戦場に 派遣されて行きます。この年国際ロータリークラブ連合会はジョージア州アト ランタにおいて大会を開催します。時の会長はアーチ・クランプであります。

アメリカの独乙に対する宣戦布告は、既に 4 月 6 日に発せられておりま したが、ロータリアン達の胸の中には、悲惨を極める戦争に対する傷心やるせ ないものがあったのは当然でありましょう。その空気をくみ取るような決議が アトランタ大会において採択されました。

これが有名な「国際理解の為の教育基金」の決議であります。戦争は国と国、 人と人との無理解に根ざして起るものであるから、世界中の若者の国際理解を 推進することから、次の戦争への道をとざす努力をしよう。というのが教育基 金制度の基本概念であるといわれていますが、この教育基金制度が今日のロー タリー財団となって、ロータリーの国際奉仕プログラムとして、大さな役割を 演ずるようになるまでには、幾多の変遷がある訳であります。

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