ロータリークラブの歴史

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ロータリー思想の基本確立さる 〜つづき〜

また、特筆すべき事柄として、ロータリークラブ連台会は事務局の支部を東 インド、マレー、蘭領インドに 6 ケ月ごとに移動する計画をつくったというこ とであります。これは、ロータリーの拡大が漸く東洋方面に及んだということ を物語っている訳であります。

更らにこの年に、インター・ナショナル・カウンシルと称する会議が開催さ れましたが、これは後にカバナ・−・ノミニーを教育する国際協議会となって 今日に至るまで続いているのであります。

ロータリーは遂に太平洋を渡って、フイリッピンのマニラに、次いで中華民 国の上海、インドのカルカッタにクラブを設立することに成功します。1920 年には東京クラブが設立され、同年に欧州では最初のクラブがスペインのマド リッドにできました。

ここで暫くロータリー拡大の足跡をたどることにいたしましょう。

シカゴの次にできたクラブはサンフランシスコ R ・ C で 1908 年のことで あります。ポール・ハリスが 2 期目のシカゴ R ・ C の会長をしていた時、 会員のマニュエル・マノズなる人物が、商用で西海岸に行くことを知り、サン フランシスコにロータリークラブをつくることを依頼しました。ポールの『 5 年間の愚行』中にサンフランシスコでは新聞記者として働いたこともあります から、彼のその時の友人もいたのでしょうが、マニュエルはサンフランシスコ で若い弁護士のホーマー・ウッドと知り合い、彼の協力を得てクラブ作りに成 功します。

弁護士のウッドは、その後もクラブ作りに熱心になって、翌年の 1909 年に はオークランドに続いてロサンゼルスにもロータリークラブを設立しました。 しかも、どのような手蔓があったのか、東海岸のニューヨーク、ボストンの R ・ C 設立にも手を貸したと伝えられています。

---第3章終わり---

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