ロータリークラブの歴史

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ロータリーは国境を越えて拡大

米国以外の国にロータリークラブができたのは、カナダのウイニベヅグが最 初で 1910 年といいますから、第 1 回全米ロータリークラブ連合会が、シカゴ において開催され、16 の R ・ C から会員が参加したという記念すべき年で あります。

次の年にはアーサー・フレデリック・シェルドンなどの活躍で英国ロンドン とマンチェスターにクラブが設立されました。ところがそれ以前にアイルラン ドのダプリンにロータリークラブがあるという噂を聞き調べてみますと、サン フランシスコ R ・ C の会員であったスチュアートモーローなる人物が、故郷 ダプリンに帰って、タプリンのほかにベルフアストにもクラブを作っている事 実を知り、早速連合会の会長となったポール・ハリスや事務局のチェスレイ・ ペリーに連絡して、両クラブ共にロータリーの傘下に入るという。エピソード が伝えられています。

モーローはその後、ポール・ハリスの激励に応えて、エジンバラ、グラスゴー 、リバープル、バーミンガムなどにも、それぞれ R ・ C を設立するという大 活躍をしたということであります。

ここにひとつ、ロータリー拡大について問題が起ります。といいますのは、 それまでにクラブのできたところは、カナダといい英国といい何れも英語を話 す国でありましたが、非英語国であるキューバのハバナにロータリークラブを 作るべく、或る会員が努力しましたが失敗に終ったという実績が現われました。

この実績は拡大に熱心なロータリアンにはショックであったらしく、ロータ リーの思想はアングロサクソン的な思想にすぎぬのではないか、との危惧を抱 くものが多かったということであります。しかしながらこの危惧はほどなく解 消されました。

それはフロリダのタムバ R ・ C のアンヂュル・ケスタという人物が友人の ジョン・ターナーと協力して 1916 年に、ハバナ・ロータリークラブの創立に 成功したからであります。

ケスタはこれに気をよくして、彼の母国スペインに帰って、ヨーロッパ大陸 最初のクラブをスペインのマドリッドに作ることにも成功しました。

その後、欧州大陸内部のフランス、オランダ、デンマークなどにはフレッド・ ティールなる人物が、国際ロータリーの依頼を受けて各地にロータリークラブ を創立して行ったということであります。

南米にロータリークラブを広げたのは、ウルグアイ出身のリベルト・コアテ スという人物であります。彼は 1928 年にモンテビデオ R ・ C の創立に成功 し、その経験によって南米各地にロータリーを拡大していったということであ ります。

ロータリー拡大のために尽力したロータリアン達の記録は、このほかにも沢 山あるのでありますが、特筆大書すべき業績を挙げた人物に、カナダのマニト バ州カルガリー R ・ C のジェームス・デピッドソンなる人物があります.彼 は友人の J ・ L ・ラルストン大佐と協力して、先ずオーストラリアのメルボ ルン、ニュージーランドのウェリントンに R ・ C を創立したのを皮切りに、 国際ロータリーの委嘱をうけて、 1928 年から 2 年半に亘って、地中海沿岸か ら印度、東洋方面を歴訪して、アテネ、エルサレム、カイロ、ボンベイ、デリー 、マドラス、コロンボ、ラングーン、クアラ・ルンプール、セレンパン、イボー 、バタピヤ、バンドン、マラン、セマラング、シンカポール、マラッカ、ペナ ン、メダン、バンコック、ホンコンなど実に 21R ・ C を作るという快挙を成 し遂げたのであります。

ポール・ハリスは彼の著書 This Rotarian age の中で特にロータリー拡大 に尽力した功績者としてデピッドソンの名前を挙げていますが、『ロータリー を勧説する人々は、自ら進んでその使命に当る信念の戦き特志家であって、時 と金とを費してロータリー思想の宣揚普及に奔走した人達である』といって、 そのような特志家としてテピッドソンのほかに、ドイツの元首相ウイルヘルム・ クノー博士、豪州のヘンリー・ブラッドン卿、ニュージーランドのジョージ・ フオウルズ卿、ペルーの元駐米大使フェデリコ・ベツエアト、それに日本の米 山梅吉の名を挙げております。

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