ロータリークラブの歴史

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ロータリーは国境を越えて拡大 〜つづき〜

ここに 1988 年即ち昭和 8 年当時の国際ロータリー拡大の記録があります。 この年の世界におけるクラブ敬は 3,608 で、会員数は 14万7000 人とな っています。米国が 2,444R ・ C 、カナダ 112 、メキシコ 82 、英国〈 R ・T・ B ・T〉 375 、フランス 49 、ドイツ 36 、イタリア 26 、スペイ ン 22 、スイス 22 、南アフリカ 10 、豪州 11 、日本 11 、中華民国 8 、と いうのがその数字であります。

間もなく第 2 次世界大戦となって、独乙、伊太利、日本などはロータリーを 脱退することになる訳であります。

さて、ロータリーの歴史の本筋に戻ることにいたしましょう。

ここで、 1920 年にロータリーが日本に上陸した話題を述べるべきかと思い ますが、日本におけるロータリークラブの創立は、後に譲りまして『国際ロー タリークラブ連合会』の 1921 年の大会について調べてみましょう。この年の 大会は初めて米国を離れて、スコットランドのエヂンバラで開催されました。

記掛こよりますと、米国のロータリアン達は二隻の汽船をチャーターして、 家族を含めた多数の者がエヂンバラ大会に参加したといわれています。

『従来の使節は外交と通商のための使節団であったが、われわれは友愛と平 和と親書の使節団である』と称して大会場は文字通り友愛と親書の渦に巻き溢 れて、盛会を極めたと伝えられています。この時からロータリーに『国際奉仕』 なる言葉が登場し、現在のような R ・Tの奉仕の実戦の中で、世界的に高い評 価を受けることになる訳であります。

また、この大会ではロータリーの統一的定款細別を作る必要があることが決 議されて、当時あった 25 地区から各 1 名宛、連合会会長指名の 4 名に連合 会事務局長チェスレイ・べリーを加えた 31 名の委員によって、統一的定款錮 別の研究が進められることになりました。

例会出席にメークアップを認める規定も、この大会で決定されたということ であります。

国際ロータリー綱領の第 4 項『奉仕の理想に結ばれた実業人と専門職業人の 世界的親交によって国際間の理解と親善と平和を推進すること』この文言は少 し違いますが、エデンバラ大会で加えられたものであります。 1922 年の大会 は、ロスアンゼルスで開催されました。この大会で特筆すべきことは、先づ 『国際ロータリー』 Rotary International と改ためられたことであります。

次に注目すべきことは、ロータリーの第 2 回目のルネッサンスともいうべき、 重大な論議の火蓋が切って落されたのがこの大会からであるということであります。

議題は何かといいますと、それは『ロータリーは個人奉仕が主か、団体奉仕 が主か』ということで、今後は『国際理解の為の教育基金』の場合と違って、社会奉仕に閑する論争となる訳であります。

---第4章終わり---

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