ロータリークラブの歴史

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個人奉仕か団体奉仕かの論争起る 〜つづき〜

ポール・ハリスの著書によれば、ロータリーは個人奉仕を重要視すべきであ り、職業奉仕が奉仕の真髄であるとの主張を強く持っていたのは、主として大 都市にあるロータリークラブの会員であったということでありますから、大都 市と中小都市の場合では、地域社会のニーズが多少相違しているということも あったろうと思われます。

この間題をめぐる論争に苦悩したエドガー・アレンは、衷情をポール・ハリ スに書き送ったと伝えられていますが結局ポールなどの配慮もあって、 1923 年のセントルイス大会における社会奉仕に閑する決議第 34 号となったものであるといわれています。

ポール著書によりますと、この大会決議は、テネシー州ナッシュビル R .C の起草になるもので、決議委員長は同 R ・ C のウイル・メーニアなる人物であります。

セントルイス大会決議第 34 号は、その全文が『手続要覧』に掲載されております。

大会決議の全文が手続要覧に載せられているものは、この決議だけであると いうことですから、 R ・Tがこの決議を特に重要であると認めている訳でありましょう。

決議は相当長文でありますから、ここにその全文を記すことを省略しまして、 その概要を紹介することにいたします。

先づ冒頭に、社会奉仕とはロータリアンのすべてが、その個人生活、職業生 活および社会生活に奉仕の理想を適用することを奨励、育成することである。 と記されています。つまり Community Service というのはその当時において はいわゆる社会奉仕、例えは福祉や慈善に閑わる実践だけではない、もっと広 い意味のあったことがわかります。

次に、ロータリアンがすべての生活の揚で、奉仕の理想を適用する時の心構 え、即ち奉仕の心について次のように述べられております。

ロータリーは基本的には、一つの人生哲学である。それは利己的な欲求とこ れに伴う他人のために尽したいという義務感との間に、つねに存在する心の矛 盾を調整し和らげようとするものである。この哲学は奉仕−『超我の奉仕』− の哲学であり『最もよく奉仕する者最も多く報いられる』という実践倫理の原 理に基づくものである。

三番目に、ロータリアンはあらゆる機会に奉仕の心をもって対処し、自己 の事業の繁栄を築き、また社会を益してロータリアン以外の人にもこれを奨励 すべきである。とあり更らに、ロータリーの哲学は単なる主観的、観念的なも のではない、奉仕するものは行動を起すべきであると述べております。

いわゆる社会奉仕については、ロータリーの特長を無視したり、絵成の本旨 を危くするようなことは避けるべきてあるが、各 R ・ C は自主的独自の社会 奉仕活動を行なう権利があるのであるから、他よりこれに批難を加えたり、干 渉するが如きことは遠慮すべきである。

また、各クラブが社会奉仕に取り組む場合の心得として、地域社会住民の積 極的支持を受けること、他に同様の奉仕があればこれと重複すべきでないこと、 十分に遂行出来るか否かを検討して後に取り組むこと、現存の奉仕機関と競合 することなくこれを後援すること、など 7 項目にわたって、微に入り細をうが った指針が示されているのであります。

ここで、社会福祉一般について、ロータリー創立の当初どんな奉仕活動が行 なわれたかをふり返って見ることにいたします。

先づ有名なのは、 1907 年頃から始まったシカゴ市の公衆便所施設がありま す。ポール・ハリスによりますと、この奉仕事業は約 2 年半の歳月を費して完 成したということでありますが、シカゴ R ・ C が先づこの計画を提唱し、市 当局や婦人団体などに働きかけて、その協力を得て実行に取りかかる訳です。 百貨店組合や醸造組合などは、自分の方で施設するからその必要なし、といっ て反対に廻ったということでありますが、ロータリァン達が手わけして説得に 当った結柴、後にはすべてのシカゴ市民の支持を得たといわれています。

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