ロータリークラブの歴史

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個人奉仕か団体奉仕かの論争起る 〜つづき〜

シカゴ R ・ C の会員クラーク・ホーレイという人は、彼の町に住む牧師さ んが、農耕と伝道の為に使用していた馬に死なれて困っているのを知り、或る 日の例会で発言を求め、牧師に馬を買ってやることが、如何に地域社会の為に なるかを熱心に説き、何時までたってもその話をやめようとしないので、会員 はそれぞれ寄付金を出してやっと、ホーレイを演壇からおろすことが出来たと いう逸話も残っています。

また、 1908 年の或る大雪の日に、シカゴクラブの 1 会員が、雪の街頭でみ すぼらしい服装の 1 人の新聞売り子の少年を見かけて、この少年を例会場に伴 って釆たところ、帽子を贈る者、自分の看ていたセーターを脱いて看せる者な ど次々に現われて、新聞は勿論全部買い上げになったという詰も残されています。

『社会奉仕』という言葉はその頃には未だロータリーに生れていなかったの ですが、行動としてはシカゴ市における忠誠なる市民として、公共に尽くす精 神が奉仕の心として存在していたのでありましょう。

やがてシカゴ R ・ C には『公共問題担当委員会』が、また『少年活動担当 委員会』が設けられて、後から創設される各地のロータリークラブもそれぞれ シカゴにならって委員会を設けて奉仕活動をするようになる訳であります。

アメリカでボーイ・スカウトが組織されたのは 1912 年ということでありま すが、この少年の組織に当ってロータリーは全米各地で多大の援助を惜しまな かったということであり、ユース・ホステルの育成についても、各地の R ・ C のロータリアン達が重要な活動を行なったということが伝えられております。

---第5章終わり---

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