ロータリークラブの歴史

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ロータリーの国際奉仕活発となる

1949 年は、日本のロータリークラブが R ・Tに復帰した年であります。 1950 年の国際大会はデトロイトで開催され、 Service above self と He profits most Who serves best の 2 つの標語が、ロータリーの公式標語に決 定しました。この標語は何れも 1911 年のボートランド大会で提唱されたもの であります。 1952 年手島知健が日本人としては、米山梅吉、宮岡恒次郎に次 いで 3 番目の国際ロータリー理事に選任されました。 1954 年は、国際ロータ リー創立 50 周年に当りますので、ロータリー発生の地シカゴにおいて記念の 大会が盛大に開催されました。 R ・T会長はハーバー・テーラーで、これより 後は彼の発案になる『四つのテス』の版権が R ・Tに移譲されたことは既述の 通りであります。 1957 年、小林雅一が日本人として 4 番目の R ・T理事に 選任され、 R ・T第 1 副会長に選ばれました。 1959 年、国際奉仕の文献 『平和への七つの適』が R ・Tより刊行されました。

ロータリーが誕生してから 50 年の間に、 2 回勃発した世界大戦の悲惨な衝 撃は、指導的立場にある人々に、流血を訴えることなしに、国際間題を解決で きる方法は何かないか、ということを真剣に模索する風潮が高まって釆ました。 1940 年代から 1950 年代におけるロータリーの活動は、国際間題に関わるもの が頗る目につきます。

例えば、 1942 年第 2 次世界大戦中のロンドンで開催されたロータリーの協 議は、折からロンドンにあった 21ヶ国の教育担当大臣が参加して、戦争終結 後の教育、文化交換の為の国際的組織を研究する必要のあることが議題となり ましたが、その後ここに集った人々によって、ユネスコを創設する計画が練り 始められたといわれます。

また、 1945 年サンフランシスコで開催された、国際連合の結成総会には、 各国代表団から要請があって 11 名のロータリアンが、各部門の顧問として国 際連合憲章の中の、人間関係の面に少なからぬ貢献をなしたことが記掛こ残さ れています。また、ベルギーのロータリアンであるポール・ヘンリ・スパーク は国連総会の議長を勤めたことがあり、ニュージーランドのオークランド R ・ C 会員レスリー・マンローも同じく国連総会の議長として活躍しました。

このように、ロータリーが国際間題、特に戦争回避について関心を集中して いる時期に『平和への七つの道』なる文献を刊行した訳であります。

国際奉仕に関するロータリーのプログラムは、 1940 年代から今日に至るま で次々に計画実施されておりますが、先ず『国際連合模擬会議』があります。 これは主としてロータリアンの指導によって高校生、大学生などによって行な われたもので、学生が国連メンバー国の仮りの代表となって、時局問題を真剣 に討議することによって、国際理解を深める効果がありました。

この型式は後に、ロータリアンや、一般社会人も加わった Into Their Conference (彼等の身になる会議〉となって、今日もなお R ・Tの推奨する 国際理解のプログラムとなっているのであります。

1961年には、現在『国際奉仕計画』となっている『今日の目標』 Targets for today のプログラムも発表されました。これは文通や交流によって世界中 のロータリークラブの親睦を図ることによって、、国際理解を増進しようとし て試みられているものてす。 1977 年度に提唱され、現在進行中の『マッチド クラブ』のプログラムも、同じような国際理解と親善を期待されているもので あります。

『世界社会奉仕』計画や昨年度から開始された『3H 運動』は、国際理解や 親書の推進は勿論のことですが、更らに進んで『世界の何処に人間の不孝が存 在していても、ロータリアンは、これを自分の不幸と感じてこれに対応する』 という、人類愛の境地から発想された、ロータリーの国際奉仕プログラムであ ります。

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