ロータリークラブの歴史

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定款・細則の統一と義務化成る 〜つづき〜

最後はクラブ奉仕となりますが、ここでは、ロータリアン達の友愛と親睦の 育成がその基本となります。友愛とは利害を超越した間柄であります。また親 睦には上下の閑係はありません。ロータリアンは世俗の地位や階級によって左 右されるものではありません。すべての会員が平等の立場に立って、人生を語 り、職業を語るところに、ほんとうの意味の親睦が生れる。そこが奉仕の心を 育てる畑であります。

ロータリーの 4 大奉仕部門と 4 つの綱領は、いづれもこの時代に出来上っ たロータリーの奉仕の姿勢が結実したものであります。

職業奉仕の金言のひとつ『四つのテスト』は 1933 年に発表されたものであ ります。これを作った人は 1954 − 55 年度の R ・T会長であるシカゴ R ・ C のハーバート・ティラーであります。彼は倒産寸前の或るアルミニューム製 品を作る会社の再建を引き受けることになり、再建策について検討している時、 この『四つのテスト』の着想を得たといわれています。

彼は先ず会社の重役を集めて、今後会社の運営については、取引関係、従業 員との関係は勿論すべて会社の行動を起すに当って、それは真実であるかどう か、それは全開係者に対して公正か、それは好意と友情を深めるか、それは全 関係者のためになるか、という四つのテストに照らしてこれに合格した場合の みそれを実行するようにしたいと語り、重役達の合意を得た後に、更に従業員 を全部集めて、社長としての決意と四つのテストの趣旨を詳細に説明して、彼 等の全幅的な支持を得たので、これを実行に移したということであります。

その結果会社は漸次立ち直り、間もなく幾何かの利益を計上することができ るようになり、最終的には優良会社として地域社会の大きな信頼を得るように なったという訳であります。

ティラーの言葉として『テストを応用することによって、予想される利益を 放棄するという犠牲もあったが、その犠牲はより能率的な組織、従業員の信頼、 顧客の信用によって十二分に償われた』と、あります。

四つのテストは、なにしろ潰れかかった不良会社を蘇えらしたという実績が ありますので、各地のロータリアンに普及していったということでありますが、 作者のハーバート・ティラ−が 1955 年度の R ・T会長に就任した機会に、テ ストの版権をロータリーに移譲するということになったのであります。

ロータリーでは、四つのテストがロータリアンによって活用され、職業奉仕 のよき手法となるように要望しています。勿論ロータリアン以外の企業経営者 がこのテストを使用することも自由でありますが、テストの版権が R ・Tにあ ることだけは明らかにされることを望んでいます。

アメリカのデイトナピーチ・シティという町では、町の標語として『四っの テスト』を採用したし、ダラス市の市会でもこれを市の標語とする議題が上程 されたこともあるそうであります。 1930 年代の国際ロータリーは、極めて順 調な発展を遂げつつあったといわれます。それは 1920 年代の終りまでに、ロー タリーの組織、運営の制度が整い、ロータリーの哲学、理念が基本的に確立さ れたので、ロータリーの内部において問題となるような案件が大方解決してい た為であります。

しかしながらロータリ−の外では、史上有名を経済恐慌の嵐が、アメリカ経 済界を吹き荒れていた時期であります。米国経済界の不況は 1929 年頃から始 ったといわれていますが、ポールの This Rotarian age によりますと、企業不 振、例産などが原因で自殺した実業人が次々に現れて、ある都市の如きはその 数が一年間に 20 余名にものぼったところがあるということであります。

ところが、調べによりますと、ロータリアンの経営する企業では、不況によ る犠牲者は比較的少数で、奉仕第一、利己第二の信用を重視する職業奉仕の実 践が、かかる不況時代に大変ものをいったことが実証されたということであり ます。This Rotarian age は 1935 年に刊行されておりますので、米国に おける経済大恐慌の真只中で執筆されていたものと思われます。

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