ロータリークラブの歴史

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朝鮮・満洲・台湾で日本第70地区 〜つづき〜

大会は、 1928 年 10 月 18 から 4 日間にわたり、帝国ホテルを大会本会議 場として開催されましたが、午餐会あり、晩餐会あり、仮装舞踏会、歌舞伎観 劇などもあり、田中義一首相は官邸でお茶の会の接待、新宿御苑や古河男爵邸 での園遊会など華やかな催しがあって、当時の日本社会では珍らしい程の時間 の正確さや、諸会合のフランクリーな雰囲気に対して世間では大変話題にした といわれています。

サットン会長は芝染太郎の適訳で JOAK から国際親書とロータリーについて 放送し、 100 名余りの外人団が京都を訪れて、純日本式の宴会に招かれたり、 名物の松茸狩りを楽しんだりして、東京大会に参加した外人は日本に対する理 解を深め、ロータリアン同士の暖かい友情に結ばれる、という成果をあげるこ とができたということであります。

東京の太平洋地域大会に出席したサットン R ・T会長は、朝鮮から満洲に足 を延ばして 1928 年 11 月の大連 R ・ C の発会式にも立ち合いました。大陸 では大連に次いで奉天 R ・ C が 1929 年 3 月に誕生し、ハルピン、新京と続 く訳であります。

日本が国際ロータリー第 70 地区となって、第 1 回の大会を開いたのは 1929 年 4 月のことであります。京都市の華頂会館が会場となって会員家族合 せて 385 名が参加したと記録に残っています。

この大会では He profits most , WhoServes best という職業奉仕の標語 について討論が行なわれたということですが、神戸 R ・ C の会長松万幸次郎 が、米山ガバナーと Service Above Self の語意について論議したことも伝 っています。

また、米山ガバナーが「職業倫理訓 11ヶ条」について研究しているという 大連クラブの古川丈作の報告を聞いて大変激賞したのもこの大会であったとい うことです。日本のロータリアン達も漸くロータリーの本質を把握して、活動 を開始しつつあったというべきでありましょう。

京都大会の晩餐会は京都ホテルで開催されましたが、この会場に現われた京 都 R ・ C の面々は全員日活から借りた狩衣と烏帽子といういでたちで、参会 者をびっくり仰天させたという挿話が残っています。 1930 年はロータリー創 立 25 周年に当るので、その年の国際大会はロータリー発生の地であるシカゴ 市で開催されています。そのあと 25 年目の 1955 年には 50 周年が、矢張り シカゴで開催されており、 1980 年には 75 周年記念大会がシカゴで開催され ることになっているのはご存じの通りです。

25 周年の記念大会には、 58ヶ国から 1 万千 8 人の登録があって、ロー タリー始って以来の記録となりましたが、日本から東京 R ・ C の名誉会員で あった徳川家達公が出席して『民族の勃興』と題して、日本の成長について英 語の演説をしたということであります。伝えられているところでは徳川公が大 会場からホテルに帰る道には黒駄馬隊の儀仗がついて、君が代が奏されたとい うことてすから、 16 代徳川将軍という貴賓に対してアメリカ流の敬意を表せ られたものなのか、日本におけるロータリーの発展に拍手を送ったものなのか と、当時のロータリアンの語り草となっていたようであります。

当時世界こおける会員数は約 15 万、臼本には 10 クラブで 520 名の会員が おりました。

第 2 回目の 70 地区年次大会は、 1930 年 5 月神戸の商工会譲所を会場と して開催されました。 R ・Tから会長代理として派遣されて釆たのは、初期ロー タリーの奉仕理論形成に頁献した Frank ・ L ・ Mylholland という人です。 彼はポール・ハリスから数えて 5 代目の会長を勤めた人物で、大会の講演では 「奉仕の理想に結ばれた実業人専門職業人の、世界的な友情をもって国際間の 理解と善意と平和を推進しよう』という点を強調して、その理路整然たる雄弁 をもって参加者を魅了し、多大の感銘を与えたといわれています。

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